地域で生きる楽しさ。

わたしには、両親がいません。

どちらもすでに亡くなりました。

実家の建物も取り壊しが終わり、今の自宅以外、帰れる場所もありません。

子育てを含め、すべて夫婦でやり抜いています。

万が一、主人に何かあった場合、私ひとりでこどもと暮らすことになります。

わたしと似た状況の方も、多くいらっしゃると思います。


以前のわたしならば、ばくぜんとした人生の怖さを感じたと思います。


ですが、今は変わりました。

そこまで怖さは感じなくなりました。


理由はいくつかあると思います。

その中でも、大きいのは

「慣れ親しんだ地域で、楽しく暮らせていること」です。


母はもういなくても、わたしが小学生だったころ、母といっしょにPTA役員をしていたおばちゃんたちが、今も地域役員として元気に活動していて、私やうちの子を見かけると積極的に話しかけてくれます。

おばちゃんたちの姿に、母の姿がいつも重なります。


父の同級生だったおじちゃんも、兄の開業しているところにずっと来てくれていてます。


今年前半、コロナ自粛できつかったとき

毎日、ご近所のおくさまとお互いに声をかけあっていました。

長かった自粛が終わったとき、ご近所のおくさまと

「長期休校、おたがいお疲れさまー!」で遊びに行きました。


小さいころ、玄関にランドセルを放り込んでぶっとんでくみたいな感覚で

こどもを学校に送り出してから、速攻で遊びに行きました。楽しかったです。


この地域や近所とのつながりが、わたしの心に安定をくれています。


わたしが母や父を失っても、地域におばちゃんやおじちゃんがいてくれるように、

わたしたちが今こうして地域で一緒に過ごしている時間も、

何十年後かに、年老いた私たちや、私たちの子どもをきっと支えてくれる。


「長い年月をともに過ごす」ことが、イコール「必ず仲が深まる」

ばかりではないと思います。

ですが、長い人生において、自分が苦しいとき辛いときや、相手が苦しいとき辛いとき、

自然と支え合えるのは、やはり近くで共に過ごした人々の存在はとても大きいと思います。


with life. 共に暮らす


これからも地域とのつながりを大切に、日々をおくりたいです^^*

with life.kyousei.

ユニバーサルデザイン

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