地域共生取り組み:地域で会議を立ち上げるには
障害を持つ我が子と暮らす日々の中で「親である自分が亡くなったあと、この子はどうしたらいいだろう・・」そのような不安をばくぜんと抱えますよね。
(ここではないどこかに、入れる施設があれば。。)(就労と障害年金で、生活ペースと金銭面を安定させて、なんとか生活を成り立たせることができたら。。)子どもが成長するにつれて、親が亡くなった後のことを真剣に考えてしまいます。
ですが実際には、入所できる施設は全国的に不足していて、入所者も高齢化が進み、これから先の子たちは、入れる可能性はほとんどありません。地域で暮らすしかないのが現状です。
なので、だれもが地域で暮らす「共生社会」の時代が到来していることを受け止めて、障害のある人もない人も地域で一緒に生活できるようにしてゆく必要があります。
地域でその礎を作っているのが「地域共生活動」です。
「地域共生と言っても、何を始めたらよいか分からない」との声をよく聞きます。始めるには、きっかけが必要ですね。
わたしの場合、どのようなきっかけから、地域共生プロジェクト役員会議を立ち上げることができたのか、その経緯をお話します。
【目次】
・最初の出会い。
・地域共生プロジェクト会議が生まれるまで。
・最初の出会い
わたしが地域共生活動を始めたのは、自閉症の次男が小学1年生の秋ごろです。なぜ始めたのかというと、自閉症の次男を地域で育てている私を知った友人から「副籍制度を東京都に導入した教育庁の人がいるけど会わない?」と誘われて、会って話を伺い、そこで地域共生の礎「副籍制度」を知りました。そのときに、教育庁の方から「保護者の立場でできることは、地域に根ざした活動を積み重ねて実績を作り、地域を動かして、地域から学校や議会を動かしていくんだ」とのアドバイスをもらいました。「まずは地域で活動している団体や保護者会などと連名で行事を行えるところまで持っていって、それを積み重ねて実績を作りながら、自分単体で動ける力も同時に身につけるように」と教えられました。
・地域共生プロジェクト会議が生まれるまで
わたしはその時ちょうど、地域で、月に一度の日赤ボランティアに参加していたので、日赤の代表に事情を説明して「地域共生活動をしたいです」と相談しました。日赤代表は「地域を動かしたいならば、社協か自治振興会じゃないと」と、地域の役職のそれぞれの役割を教えてくれて、社協の会長を紹介してくれました。
そこから、日赤代表と社協会長と3人で対話を重ねました。何度か対話をするうちに、社協会長が地域共生活動に理解を示してくださるようになって、今度は、社協会長が自治振興会会長やその他必要な役職の方々に声をかけてくれて、場を用意してくださり、初めて会議を開けることになりました。
教育庁の先生から地域共生活動を行う方法を教えてもらって、地域共生プロジェクト会議を実際に開けるようになるまでの期間は、わたしの場合は、約半年でした。
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